恋愛と結婚はつながっているのでしょうか?昔は愛とか恋とかそんなことはどうでも良かった

今回は、現代社会では普通とされる「結婚」について、昔の人たちは「結婚」に対してどのような価値観を持っていたのでしょうか?

子供を産むのは結婚してからと思ったりすることはないだろうか。恋愛→結婚→出産の順に、3つセットなのが常識だと思っていないだろうか。この部分について紹介していきます。

恋愛と結婚はつながっているのか?ロマンティック・ラブ・イデオロギーを見直す

結婚に発展しない恋愛は無駄であると思ったり、子供を産むのは結婚してからと思ったりすることはないだろうか。恋愛→結婚→出産の順に、3つセットなのが常識だと思っていないだろうか。

その思い込みのは、実は専門的に名前がついている。「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」というものだ。

ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは何か?そもそも「ロマンティック・ラブ」というあ甘い砂糖菓子のような装いに、「イデオロギー」というカール・マルクスを想起させるような硬い単語がつけられているあたりからして、不思議な取り合わせではある。

「ロマンティック・ラブ」なんてイデオロギーつまり幻想なんだよ、あり得ないんだよ、と言っているに等しくも見えるかもしれません。ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは、「愛と性と結婚の三位一体」と定義されるのが普通です。

愛と性と生殖

個人的には「愛と性と生殖」の三位一体が、結婚という契機によって結びつけられると考えた方がよりすっきりすると思っている。

いずれにせよ、「一生に一度の運命の相手に出会って恋に落ち、結婚して、子供をつくって死ぬまで添い遂げる」ことを当たり前であるとする考え方のことを、ロマンティック・ラブ・イデオロギーと呼びます。

この考え方は、以前は、全く「当たり前」ではありませんでした。まず多くの人が結婚しなかった。宗教や学問に身を捧げた人もいますし、農業の三男以下は結婚できないことも多かったのが現状です。

また遊女などもいました。みんなが結婚するということ自体が、そもそも近代以前はありえないのが現実でした。

いわゆる適齢期を過ぎた人たちなら一度は聞かれたことがあるはずの「なんで結婚しないの?」というお決まりの質問は、むしろ皆が結婚することになったからこそ、出てきました。

近代以前の結婚

近代以前の結婚は、まずもって政治でした。「源氏物語」などの平安文学に描かれる貴族の色恋を見ていると、呑気なものだと思うかもしれません。

しかし、まさに娘を天皇に嫁がせ、未来の天皇を産ませることによって権力を握ろうとするという「性事」は、「政治」そのものでした。

江戸の幕府体制においても、土農工商の身分制度の壁を超えて自由に結婚することはできませんでした。

武士の結婚には藩や幕府の許可が必要でした。農民同士でさえも、本百姓と小作人という身分を超えることは難しく、共同体による規制が存在しました。

ヨーロッパなども同様で、例えばフランスでは「シャリバリ」と呼ばれる儀式があり、かなり年齢の離れたカップルの結婚や女通など共同体の規範に反していると思われる行動に対して、皆で騒ぎ立てて罰を加えたといいます。

昔は愛とか恋とかそんなことはどうでも良かった

結婚や性は「公」にかかわる事柄であり、プライベートな領域のことであるとは考えられてませんでした。

また近代以降前の結婚は、経済でもありました。豊かな階層では、自分たちの財産を受け継がせるために対等な家同士の間で結ばれるものが婚姻であり、端的に言えば、愛とか恋とかそんなことはどうでも良かったと思います。

ところがこういう状態に変化が訪れます。シャッターのいうロマンス革命です。シャッターは、男女関係が実利中のものから感情中心のものへと変化して、貧しい階層から性解放が起こり、プルジュワ層に広がっているといいます。